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GRADUATE - 卒業生のご紹介
古田 泰子

TOGA

YASUKO FURUTA古田 泰子

1971年、岐阜県生まれ。エスモード 東京校総合科で2年学び、3年次にパリ校に編入。帰国後の1997年、TOGA(トーガ)をスタートする。1999年春夏期より展示会形式でコレクションを発表。2006年春夏期よりパリコレクションに参加する。2007年、フランス国立モード芸術開発協会主催のANDAM賞を受賞。また2009年には毎日ファッション大賞を受賞するなど、国内外から高い評価を得ている。2014年2月TOGA発表の場をパリからロンドンに移す。

古田さんは、ずいぶん早くからファッションの世界を目指していたそうですね。
母親いわく、小学校1年生のときには「デザイナーになりたい」といっていたらしいです。自分ではまったく記憶にないんですけど。
ご自分ではっきりと、進む道を意識されたのはいつごろですか。
高校に進学するころ、中学時代ですね。珍しいと思うんですが、地元の岐阜に立体裁断を教えるような専門的な高校がありました。最初はそこを志望したんですけど、たまたま親戚がそこの教師で、それは絶対イヤだと(笑)。
それで普通科の高校へ。
高校で専門を決めて欲しくないという親の希望もあって、普通科に通ったものの、途中で辞めてロンドンに行きたくなって(笑)、ファッション系の学校の情報を集めたら、エスモードなら高校を中退して留学したあとでも、すぐに入学できると知ったんです。だから、高校を卒業するぐらいの時期までロンドンに行って、帰ってきたらエスモードに入学したいと親にプレゼンしました。めちゃくちゃな話なので、当然親には受け入れられなかった。
高校を卒業してエスモードに入学されたわけですが、最終的な決め手はなんでしたか。
まず、大きすぎない学校の規模と建物などの雰囲気が良かったことです。それと、他校と比較して、ある学校は私にとっては派手すぎ、ある学校は地味すぎました。エスモードは外国人の先生が自然にそこにいる感じにも刺激を受けて。でも正直、勘で決めたようなものです。
日本のファッション専門学校は、洋裁学校からはじまった学校が多いので、エスモードと他校では自然と校風も異なりますね。ところで高校生の古田さんは、すでにモード指向でしたか。
当時の絶対的なモードの図式は「メインストリーム対アンダーグラウンド」でした。でも私は、どちらにしても流行とはズレていて、自分ひとりの道を突き進む感じだったので、つきあうのも高校の外の人たちでした。そういうつきあいの中で、ヴィヴィアン・ウエストウッドの文化的な背景を知ったり、それまで見たこともないような服が並んでいるコム デ ギャルソンの直営店を見にいったり。だから、モードとは真逆の、単に綺麗なモノを作るんじゃなくて、なにかを壊すタイプの服に興味があったということはありました。
どんな服を着ていましたか。
あの当時の日本はDC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランド全盛でした。その中で、マーケティングリサーチで作っているようなブランドより、ひとつの強い「個」を持ったデザイナーに憧れました。どんなにかわいいスカートでも、そのブランドのデザイナーが好きじゃなければ絶対に買いませんでした。これを買ってしまったら負け、みたいな(笑)。変に頑固でしたが、納得いかないものを買うくらいなら、自分で作ったり、大量生産の服に自分のアレンジを加えて着ていました。
エスモードに入学して、いかがでしたか。
高校時代は学校内で友だちがいなかったので、共通の土台のある世界でやっと話の合う友だちができるかなと思ったら、想像以上にみんな個性的でした。だから、すぐに友だちができなかった記憶があります。いま考えればひとりひとりがとんがってた。とんがりキッズの集合体が、時間をかけてかけがえのない友だちに変わっていきました。現在にいたる長いつきあいの友だちもいます。
授業はいかがでしたか。
モデリズムの授業で最初に作るのは普通のシャツでした。自分で好きなデザインの服を作れると思っていたので、憧れていたデザイナーの仕事ではないような気がして、基礎が大事だとわかっていても焦りにかられましたね。ベーシックな授業より、選択で受講したファッション・ジャーナリズムやコンピュータの授業を面白がっていたかな。
古田さんの好奇心に応える授業だったんですね。
そうです。でも、いま思えばあんなに多くの時間を費やして洋服のことだけ考える時間が持てるって、学生の特権ですよね。エスモード時代に、その自由な時間を充分に味わいました。まだビジネスじゃないから、いろいろなことを試すことができたし。なんのリスクもない時代で楽しかったですね。なにを作っていいかわからなくて、クエスチョンマークだけで服を作ったり……。
「?」だけで?
首に「?」がついていて、ここにこう。[と身振りで説明]
かなり実験的な服ですね。
課題に対する疑問をそのままかたちにしたら、先生たちも評価してくれて、友だちのリアクションも得られました。エスモードはフランス式だから、先生との議論も対等ですしね。そういえば学校で作った下着をフランス人の先生に「こんなの下着じゃない」といわれて。
古田さんがデザインした下着が?
そうです。そこでけっこう議論が白熱しても、いろんなタイプの先生がいて、「私はこういう下着があってもいいと思う」とフォローしてくれたりね。そういうときに自分の道が見えてきたりもするんです。私は会社に就職するんじゃなくて、インディペンデントでこういう人たちの賛同や協力や得ながらやっていくんだろうな、とだんだん気づかされました。
そしてエスモードのパリ校へ、というわけですが。
川久保玲さんと山本耀司さんの全盛期でしたから、もう情熱的にショー会場に潜り込んで。見たこともないシルエットに驚かされました。それでいてパリ・デビュー当時よりエレガントになっていた彼らの服は、ヨーロッパでとても受け入れられたんです。だからパリ校でも、日本人は別格的に待遇が良かったのを覚えています。川久保さんや耀司さんだけでなく、高田賢三さんや三宅一生さんといった先駆者たちのおかげですね。彼らがあまりに優秀なので、日本人だというだけで。アジアの他の国の留学生からは「ズルい」っていわれたくらい(笑)。
モードの歴史を生で目撃したわけですね。
本当にラッキーでしたね。日本とはまったく違う息が止まりそうな緊張感の中で、夢中になってランウェイの洋服を見ていた。こういうレベルで洋服を発表している人がいると考えるだけで、ちょっと震えるというか。
2005年にはTOGAもパリに進出しますね。そんな留学時代の経験をもってすれば、古田さんにとってパリも特殊な場所ではなかったのでは?
でも、やっぱり特殊でしたね。並々ならぬいろいろな山が立ちはだかって、すごくいっぱい壁があって。時代とともにファッションのあり方も変わっていましたから、情熱だけでは突破できないことも増えていました。今という時代は、このブランドを誰にどう売るかということを、よほど戦略的に考えていないと、ビジネスの現場で人を動かすことすらままなりません。
パリに加え、ロンドンへの進出も決まりましたね。世界市場が着々と広がっています。
TOGAをはじめたときからインターナショナルブランドとしてやりたい気持ちがありましたし、やったことへのリアクションが必ずある海外は、やりがいもあります。とはいうものの、私の服は川久保さんや耀司さんの服とは違います。そしてヨーロッパではいまでも、日本人が作る服には日本というルーツを求められるところがあります。エスモード パリ校に学んで良かったのは、本当にそこなんです。日本にいたら考えなかった自分自身のアイデンティティを確認する必要に迫られました。パリは移民の多い場所ですから、いろんな人種の人々が混ざって生きています。その中にいて自分は日本人なんだと認識する訓練は、エスモード時代に身につけたと思います。
エスモードらしさとはなんだと思いますか。
様々なバックグラウンドを持った幅広い年齢層の人たちと少人数のクラスで一緒に学べること。私はある一方向からの意見を聞き続けるのが苦手なので、いろいろなタイプの少数意見が聞けるのは、居心地良く感じます。留学から帰ってきた人や学校に入り直した人、アジアやいろいろな国からの留学生もいますしね。
これからのファッション教育に注文はありますか。
インディペンデントなデザイナーを目指すなら特に、服飾史だけでなく、美術史をしっかり学ぶことが必要ですね。
いまではエスモード ジャポンでも必修科目として取り入れられています。
それはいいですね。私も学生時代に学んでおきたかったです。いまでは美術史を学ぶ必要性がますます高まっていると思います。例えば大学まで学費がかからないドイツなどで、美術の基礎を終えてファッションを学ぶ人と日本のファッション学校の出身者とでは、どうしても美術的な解読の力に差があります。ファッション学校でモダンアートまできっちり教わったら、東洋と西洋みたいな認識を越えた、クロスボーダーで壮大な視点を持って世界で戦えるデザイナーが生まれると思うので。
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